和菓子街道 東海道 日本橋

nihonbashi-main-pic.JPG

西を目指す旅は、ここから始まる

 慶長8年(1603)に家康が「日本の中心の橋」と定めて以来、日本橋は東海道をはじめとする五街道の起点とされた。現在も、橋の車道に埋め込まれた「日本国道路元票」が、ここが交通大国日本の道の中心であることを伝えている。

 広重の浮世絵などに見る江戸時代の日本橋は木製であるが、現在かかっているのは、明治44年(1911)に完成したアーチ式の石橋だ。下を流れる日本橋川の中を覗き込むと、鯉が泳いでいる。綺麗などとはほど遠い都会の川だが、泥好きの鯉ならこんなところに放流されても平気なのだろうか。

 視線を上に移すと、首都高速の高架の間からわずかに空が見える。かつては日本橋の上から遥か駿河の富士山が望めたため、この辺りに駿河町の名がつけられたが、今では高架に遮られ、冨士が姿を現すことはなくなった。

 都市景観を思いっきり無視したこの高架は、東京オリンピックのあった昭和39年(1964)に建設された。この高架を取り外し、文字通り日本橋に日の目を見せようという話が持ち上がっているが、今のところ実現の目処は立っていない。

 橋の北東詰へ回ると、「乙姫の広場」と名付けられた小さなスペースに、「日本橋魚市場発祥の地」の石柱が建っている。東京の魚河岸というと今は築地市場を指すが、関東大震災より前には魚河岸は日本橋にあった。

 江戸の一大市場であったこの河岸には、魚ばかりでなく、日本中からありとあらゆる物資が集まった。乾物屋から料亭、扇子屋、眼鏡屋、漆器屋まで、江戸時代に日本橋界隈で活躍した商人達の店は、今も数多く残っている。近代的な建物の中に身を隠しながらも、江戸時代から続く暖簾を守っている老舗を巡るのも、江戸の粋というものだ。

日本橋老舗巡りのページ

 上方からのいわゆる「下りもの」が珍重された江戸で人気を博した京菓子屋の「桔梗屋播磨豫」も、日本橋に店を構えていた。桔梗屋で売られた上菓子(=京菓子)や、花昆布・刻昆布などの菓子昆布の人気は高かったというが、今は桔梗屋は既に姿を消してしまっている。ちなみに、桔梗屋の流れを汲むのが、山梨県のお土産としてお馴染みの「桔梗信玄餅」の桔梗屋だ。

 文化初年(1804)の頃の江戸の風俗を描いた絵巻『熈代勝覧』には、今の室町一丁目辺りに「常陸屋」という屋号の菓子屋が描かれている。店頭には赤や緑の色とりどりの菓子が並べられているが、この常陸屋も今は見当たらない。

 練羊羹を日本橋で売っていた将軍家御用達の大久保主水の店や、やはり将軍家御用達の「金沢丹後掾」も日本橋にあった。江戸時代に刊行された江戸の名物ガイド集『江戸買物独案内』には、日本橋の菓子屋としては金沢丹後掾をはじめ、「鈴木越後掾」「紅谷志津摩」「越後屋播磨掾」「池田屋上野掾」「橘屋河内掾」などが紹介されている。

 これらの多くは京菓子を売る店で、諸藩の御用商人を務めていた。同じく『江戸買物独案内』に列せられている日本橋小網町の「大坂屋」は店を三田に移し、今でも健在である。

 今の日本橋には明治以降に他から移ってきた菓子屋は多く見られるが、江戸時代に名を競い合ったこれらの名店はほとんど残っていない。そんな中で、今も残る江戸からの老舗和菓子屋がある。それが、「榮太樓總本鋪」である。

hiroshige-nihonbashi.jpg

douro-ganpyou.jpg

nihonbashi-river.jpg

nihonbashi-hashidume.JPG

 ・榮太樓總本鋪「金鍔」他

     出発は魚河岸の菓子屋台から → click!

corner-of- mitsukoshi.JPG
echigoya.JPG
nihonbashi.JPG
tokyo-douro-ganpyou.JPG
uogashi.JPG
yaesu.jpg
kyobashi-giboshi.jpg
tokyo-tower.jpg

その他のおいしい立ち寄り情報

長門
  菓子: 松風(1枚1000円~、要予約)他
  住所: 東京都中央区日本橋3-1-3
  電話: 03-3271-8662
  営業時間: 10:00~18:00
  定休日: 日曜日、祝日


 創業は享保年間(1716~1735)。元は神田通新石町の須田町際で菓子屋を営んでいたが、将軍家御用商人になり「松岡長門大掾藤原信吉」の称号を賜り、帯刀を許される身分となった。

 日本橋に移った今は名を「長門」と改めながらも、職人が昔ながらの手作りを貫いている。将軍家御用だったことを偲ばせる葵の御紋をあしらった最中や、弾力のある食感とさっぱりした甘さの久寿もち(本わらび粉使用)、竹皮に包まれた短冊状の切羊かんなどが人気だが、ここで紹介したいのは将軍家に納めていたという「松風」。

 松風というと、京都土産としてお馴染みの味噌松風を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。織田信長の本願寺攻めを背景に生まれた松風は、カステラ状の生地の表面に芥子の実を散らして焼き上げたもので、その姿が松の皮を思わせることからこの名がつけられた。

 一方、包装に「江戸銘菓 松風」と書かれている長門の松風は、いわゆる瓦煎餅のような菓子だが、瓦煎餅より堅めに焼き上げてあり、香ばしい。生地の表面に芥子の実が散らしてあることから、表面だけは京都の松風とよく似ている。

 瓦煎餅のことを堅焼カステラと呼ぶこともあり、京都の松風も長門の松風も生地そのものはほぼ同じかもしれない。しかし、かたや厚く柔らかく焼いたもの、かたや薄く堅く焼いたもの、というだけの違いのようにも感じられるが、風味も食感もまるで別物だ。

 形状もユニークだ。40×12cmほどもある帯状の生地を折畳んであるため、焼きあがった完成品の大きさは20×12cmほど。これを、食べやすい大きさに割って頂く。伊賀の堅焼き煎餅ほどではないが、なかなかしっかりとした生地で、割るのに少々力を要する。将軍家へ納めていた当時は、丸型の器で焼き上げ、それを長方形に切ってから折畳んでいた。丸型を四角に切るため、切り取った部分が月型のくずとなって余ったので、お許しを得てこれを一般に売り出したところ、頗る評判が良く、「松岡長門の松風くづ」として有名になったという。

 大正初期までは製造を続けていたが、その後一時途絶え、近年、当代店主が復活させた。形は将軍家に献上していた当時のまま。焼き色は1枚のうちにも薄茶から濃い茶色へと変化しており、職人技が感じられる。つややかで濃淡に変化のある表面に白い芥子の実を散らした姿は美しく、ゆるやかな曲線が着物の小袖を思わせる。

 歴代将軍も愛した長門の松風を賞味したいと思われる向きも多いかもしれないが、ひとつだけご注意が。長門では、上記の人気菓子の他、上生菓子などを常時販売しているが、松風に限っては必ずしも店頭に並んでいるとは限らない。いや、むしろ、滅多にお目にかかれない代物なのだ。

 店先を預かる女性の言葉をそのまま借りると「職人さんの気まぐれで、いつ作るか分からない」とのこと。店を訪れてもすぐに松風を求めることができないため、予約しておく客がほとんどだが、職人さんの気が向いて松風を作ったとしても、予約分で終わってしまい、店頭にはまず並ばない。

 また、予約しておいても、順番待ちのため、いつお目にかかれるかの目処も立たない。私の場合、幸いにも最初に店を訪れてから1カ月ほどで連絡を頂くことができた。何事もスピードが肝心の時代だが、1枚の煎餅をこんな風に気長に待つのも悪くない、そんな風に思うのは私だけだろうか。

nagatoya.JPG

nagatoya-matsukaze.JPG(お菓子の写真はクリックすると大きくなります)

銀座松崎煎餅
  菓子: 三味胴・三寸丸(1色柄1枚105円~)
  住所: 東京都中央区銀座4-3-11
  電話: 03-3561-9811
  営業時間: 11:00~19:00(金土~20:00)
  定休日: なし
  URL: http://matsuzaki-senbei.com/

 瓦煎餅の老舗として名高い銀座松崎煎餅は、文化元年(1804)に芝の魚藍坂で創業した。その後、慶応元年(1865)には三代目宗八が銀座(当時は弥左衛門町)に店を移し、現在に至っている。

 瓦煎餅の由来は、その名の通り、屋根瓦の形に焼き上げていることにある。元々、瓦煎餅の本場は関西地方。草加煎餅に代表される醤油煎餅が主流だった関東に関西の技術を持ち込み、工夫を凝らして独自の味を確立したのが松崎煎餅だ。

原材料は小麦粉、砂糖、卵といった素朴なもの。5ミリほどの厚さで、焦げ茶色になるまでしっかりと焼き上げられる。卵の風味と優しい甘みが懐かしさを誘う。「一枚一枚心を込めて焼け、決して手を抜くな」という家訓と共に、現当主・松崎宗仁氏(七代目)まで代々受け継がれてきた味だ。

 「煎餅は手間をかければかけるだけおいしくなる」との信念から、現在も工程は手作業という松崎の瓦煎餅は、多くても1日に800~900枚程度しか作ることができないという。表面には四季折々の花鳥風月を色砂糖で描いた三味胴(丸型は三寸丸)は、見た目にも美しく、また楽しい逸品である。

 店舗2階のお茶席では、抹茶や煎餅、上生菓子などのセットを頂くことができる。

matsuzaki-senbei.JPG

matsuzaki-shamidou.JPG(お菓子の写真はクリックすると大きくなります)

大坂家
  菓子: 秋色最中(大1個]160円、小1個80円)
            (箱入り・大6個入り1100円~、小10個入り1400円~)他
  住所: 東京都港区三田3-1-9
  電話: 03-3451-7465
  営業時間: 9:00~18:30(月~金)
  9:00~18:00(土)
  定休日: 日曜日、祝日
  URL: http://www.o-sakaya.com

 三田の慶応大学正門近くに店を構える大坂家。元々、大坂(現在の大阪)出身だったことから、元禄年間(1688~1703)に日本橋小網町に店を構えた江戸での創業時は「大坂屋」と名乗っていた。菓子屋が多く軒を連ねる日本橋にあって、伊勢大掾の称号が与えられるほど格式の高い店だったという。その後、明治27年まで同地で菓子をひさいでいたが、火災や関東大震災(大正12年)を経て現在地に移転し、店名も「大坂家」と改めた。 

 そんな大坂家の代名詞ともいうべき名物菓子が「秋色最中」だ。現当主は十七代目であるが、元禄の頃の当主・大目六兵衛の娘お秋にちなんで、明治時代になってから考案された最中だ。秋色女(しゅうしきじょ)という俳号を持っていたお秋は、当時の江戸ではかなりの有名人だったのだ。俳人お秋の名を世に知られるようになったのは、彼女が13歳の頃。お花見にでかけた上野で、花見酒に酔う人々を見たお秋は、

   「井戸端の 桜あぶなし 酒の酔」

という句を詠んだ。そして、この句をしたためた紙を、上野清水堂の脇にあった桜の枝にくくりつけておいたところ、後にそこを訪れた公寛法親王の目に留まった。親王はこの句をたいそう気に入り、お秋を屋敷に招くことに。すると、お秋の父・六兵衛は、滅多にないことだからと、娘の付き人になりすまして、親王の屋敷に同行るすことにした。

 その帰り道、粗末な服装の下人姿に身を包んでいた父親を歩かせ、自分だけが籠に乗っていることを心苦しく思ったお秋は、隙を見て父を籠に乗せ、自分は歩いて家まで帰った。この孝行話はたちまち世間に広まり、今でいうブロマイドのようなものだった錦絵にまで、お秋の姿が描かれるようになった。蜀山人の『半日閑話』、柳亭種彦の『還魂紙料』、文政版『江戸買物独案内』などといった本にも多数その名が見られる。

 考案された当初、この最中はその美しい円い形から「窓の月」と呼ばれていた。茶、白、鶯色の3色で、それぞれ小倉餡、黒砂糖餡、栗餡が入っており、三色最中として人気を博した。その後、昭和初期になると他店でも三色最中と呼ばれる類似の菓子を作るようになったため、大坂家では「秋色最中」と名を改め、現在に至っている。最中皮の上に押された「秋色」も、その頃から付けられるようになったという。

 更に今では、マカロンのような小さなサイズのものも登場。千代紙を手張りした可愛らしい六角形の化粧箱入りは、ちょっとしたお土産に喜ばれている。千代紙の模様を選ばせてくれるのも嬉しいサービスだ。

osakaya.jpg

osakaya-shuushiki-monaka.JPG

osakaya-monaka-mini.jpg(お菓子の写真をクリックすると大きくなります)

竹葉亭
  料理: 鰻お丼(お吸物付、A:2100円、B:2625円)
      蒲焼(2415円)他
  住所: 東京都中央区銀座8-14-7
  電話: 03-3542-0789
  営業時間: 11:30~14:30、16:30~20:00(L.O.20:00)
  定休日: 日曜日、祝日
   URL: http://www.unagi-chikuyoutei.co.jp/

  •  江戸末期創業の老舗鰻料理屋。山岡鉄舟の道場があった銀座の地で、門下生の「刀預かり所」を任されていた初代別府金七が、留守居茶屋を開いたのが始まり。その後、酒などを振舞うようになったため、酒の別称「ささ」から「竹の葉」を屋号にとり、「竹葉亭」とした。
  •  以前、六代目の別府克己氏にお会いしてお話をお伺いする機会があった。小柄な好々爺といった感じの別府氏は、「うちはどなたでも歓迎です。お客さまに上下はありませんから」とにこにこ顔でおっしゃっていた。
  •  店構えは老舗然としており、いかにも敷居が高そうだが、考えてみれば鰻は元々、庶民の食べ物。そんなに肩肘を張る必要もないのかもしれない。タレの配合などは秘伝で、その作り方などは門外不出かとおもいきや、別府氏はあっさりと、「うちは醤油とみりんを1対1にして煮て、昔からのタレに継ぎ足し継ぎ足しして使っています」と教えてくれた。
  •  配合くらい教えても「竹葉亭」の味そのものを真似することはできない。目に見えないもの、口では伝えられないものがあるからこそ、老舗の老舗たる所以なのかもしれない。
  •  写真はテーブル席で頂くことができる鰻お丼。タレは少々醤油辛いが、甘くどさがなくすっきりとした味わいだ。歌舞伎座のお使い物として人気の高い鰻鮨には、蒲焼とは違うタレを使用。持ち帰りにはこちらがお薦めだ。
  •  銀座という繁華な地にありながら、大正時代から残されている奥座敷では、静かな時間の中で食事を頂くことができる。

chikuyoutei-shop.JPG

chikuyoutei-unadon.JPG(料理の写真はクリックすると大きくなります)